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I Love Canon Powershot G2( ´艸`) デジタル黎明期のまぁるいカメラが愛機です。 へっぽこカゲンがお気に入り。
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電線で区切られた小さな空は、わたしの 「忘れがたきふるさと」 の原風景。
江戸っ子には小さな空がよく似合う。 長屋の庇の隙間から見上げたのと同じ空。

「江戸っ子は宵越しの銭は持たねぇ」なんて言いますが
なんのこたぁない。 持てない生活が普通なんでさぁ ってだけの話で。
「持てない」 を 「持たねぇ」 と言い切って笑う。
それが江戸っ子気質って奴で御座います。



高度成長期の区画整理やその後のバブルで、我が実家もそうですが
多くの江戸っ子が住むところを追われ、その他の東京の地や千葉・埼玉・茨城などに散りました。
江戸っ子は絶滅危惧種に御座います。 しくりーん。


追われ…と言っても、悲壮感はなかったですね。
「仕方ねぇ」 「めんどくせぇ」 この2つが言えればなんだって納得するのが江戸っ子です。
江戸っ子はねぇ、いい加減にいい加減。 グッド具合にナイス加減ってことですョ。
考えても仕方ないことは考えないんです。 明日は明日の風が吹かぁってなもんで。


職人・人足・様々な商人など、お上の命令で江戸に集められた人たちの殆どが長屋に住み
長屋文化は、後に借地・借家文化へと通じていく。
自分の街という気持ちはあっても、自分の家そのものに対する拘りはほとんど無いのがデフォルト。
いろんなところから来た人が火事や喧嘩で住まいを代える…なんてのが日常だったわけで
「おめぇさえいりゃあ、俺ぁ腕一本で何度でもやり直せらぁ!」 「お前さん!」 ひしっ!
時代劇でよく出てくるこんなシーンは、フツーにホントです。


何にも持ってないから、家族と家訓的集合体としての 「家」 を大事にする。
それさえあれば、なんにもいらないんでさぁ、江戸っ子は。
それしかない…だけなんだけどね。 うはは。
望んでも手に入らないものがあるのを知っている。 これは幸せなことなのではないかなぁ。



まっ平らで吹きっ晒しで川が少ない江戸の地は、獲物も敵も見つけ易いが敵からも丸見え。
ウンバウンバの原始時代から戦乱の時代にかけて、住むに適さなかったことは想像に難くない。
痩せた土から採れるものも貧弱で暮らしにくい。 てゆーか、無理。
土着の人が殆どいなかったわけで、徳川家康が江戸に目を付けたのは当然至極。
ゼロベースで町を作っていけるのだから。 家康、ナ~イス。


「俺ぁやっぱり越後に帰ることにしたよ」 「達者でな…」
「故郷に錦を飾るぜい」 「おう、頑張れよ! おい、この人に1本つけてくれ」
なんてのもフツーにホントです。 江戸時代からずっと、地方と東京は一蓮托生。
たくさんの人が働き、生き、行き来してきた1つの 「地方都市」 それが東京だとわたしは思ってる。


湯島の爺ちゃん一族がいつ江戸に出てきたものやら定かではありませんが、代々火鉢職人の家。
四角い、木で作る、火鉢、です。
「電気の時代に火鉢はねぇだろ」 ってことで、明治時代に指物師兼材木屋になりました。
土地を持ったのも自分の家を持ったのも、爺ちゃんの代で初めて…ってことで
さぞやご先祖様に 「俺ぁやったぜ!」 って気持ちがしたでしょうね。 ふふふ。


爺ちゃんはその家を三度消失しました。 関東大震災・東京大空襲・戦時中にもう一回。
関東大震災の時 「避難して戻ってきたら自分の土地に違う人が住んでた」 なんて事例をたくさん見て
空襲が激しくなった時も爺ちゃんは1人で湯島に残りました。
工具を引っ担いで走って逃げた爺ちゃんは、焼け終わった町に戻り
焼けぼっくいを拾い集めては知人の敷地を囲って回ったそうです。
「山田さんち」 「鈴木さんち」 とか、立て看板も作って。


頼まれるままにあっちでこっちでバラックを作り、壊れた水道管も伸ばし、電線を引っ張り…
爺ちゃんみたいな職人たちが、戦後の東京を 「勝手に復興」 しちゃいました。
元々狭かった東京は、もっと狭くなりました。 めちゃくちゃに発展しました。
東京にいけばなんとかなる! と、飢饉の度に江戸に人が押し寄せたのと同じ状況が何度も起り
無茶苦茶な発展と人の流入はその後も続き、バラック同然の家はバブル期でもまだ沢山ありました。 
だから 「区画整理は仕方なかった」 と、あの頃住んでいた誰もが思ったのではないかな。
うちの場合は 「思わせた」 の一翼ですけど。 うひ。



等々の話を、爺ちゃんの記憶が殆どないわたしが知っているのは
昭和30年の声を聞くまで東京に戻ってこれず、福島に疎開したままだった母が
何度も何度も 「昔話」 として わたしたち三姉弟に聞かせてきたからです。
爺ちゃんの冒険談はとても面白い。 実にくだらない。 ぶはは!


自分の家を建てるのは一番最後になっちゃって、まずは貯めたお金を見せようと福島に向かう列車の中で
胴巻きに入れていたお札を全部掏られちゃって、ケッ他人に使われるぐらいならよぉ、と
お尻に入れた財布だけに残ったお金でペラッペラのスーツを闇市で買ってオケラになった話なんてもう最高。
冗談かと思ったらほんとにホントで、暢気な婆ちゃんもさすがに激怒。 「おまけに、化繊じゃないの!」
婆ちゃん、たまの激怒で突っ込むところはそこか(そこらしい) トドメの一撃がそれか(それらしい) 
爺ちゃんは爺ちゃんで「元とりゃいいって話だろ」 と、死ぬまで着てた。
そういう話じゃないことは誰も気にしない。 なんとなく 「オイシクオサマッタ」 ので。
家族で写った写真では、爺ちゃんは大概このスーツを着ています。 わはは。
スマナイトハオモッテマス~  イッタコトハヤリマス~  てなところ。
てゆーか、なんでお札を 「まず見せよう」 なんて思うんだか。 一事が万事、この調子。
おかげで、家を建てるのにはもう1年待たなきゃなりませんでしたとさ。 めでたくない、めでたくない。


大正時代に撮った若き日の爺ちゃん。 いかにも 「やらかしそう」 な顔。

左にいるのは、シベリアに7年抑留されて爺ちゃんより早く逝ってしまった伯父。


母は、数えると幾年も親と過ごせていません。
結婚後10年以上子供ができず 「だったらもっと遅く結婚すりゃよかった」 とか言ってます。
「お母さんだけ、本郷小学校を卒業してない」 もトラウマの模様。 (中学はどうでもいいらしい)
親の元に帰る、東京の土になる、そう念じて1人遠い親戚の家で過ごしてきた母。
だから、8人いる兄弟の中で一番、親の教えを大切にしてきたんだなぁと、今、思います。
「一汁一菜」 「贅沢無用」 「今日を楽しめ」 とか、いろいろ。
働いて、きちんと食べてりゃいいんだよって。 貧乏暇無し。 暇が無けりゃ悩みも無し。


結果として正しいとわたしが感じるのは、爺ちゃんも親の言うこと聞いてきたってことなんだろう、と。
言い方やタイミングで家族決裂の元ともなる家訓は、経験を通した愛情の塊。
家族と仕事が心の全てだから、子供たちには近くにいて欲しかった爺ちゃんと婆ちゃん。
念仏のように 「在京の人としか結婚させねぇ」 と呟き続け、そのとおりにし
「いつの時代の話だよ」 と文句を言っていたわたしたち姉妹も、そのとおりになりました。


高校生になってから農家でご飯をご馳走になって、死ぬほど吃驚したっけなぁ。
「おかずがー! ありすぎるーーーーー!」 魚半身で、丼三杯いけるわたしには豪勢すぎたの巻。
平成はもうすぐそこ…の頃の話です。 同年代の東京の子の多くがそうだったと思います。
エビフライとかクリームソーダとか、夢だよ、幻だよ。 ステーキって何?ですよ。 わはは。
いや、あるのは知ってる。 子供の頃からある。 語れるほど食ってないって話。
家族で外食したら、嬉しそうに学校で自慢するもんでした。 いいなぁって、褒めあう。
どの地方都市よりも食卓は貧しかったと思いますね。 ふふふ。
なんだって高いもん。 食べ物は外から来るものに頼るしかないから。


うわー豪勢! 贅沢! 美味しい! と食べまくったわたしに農家のお婆ちゃんは
「自分で採ったものを粗末にしたくなくて必死で食べるだけだよ」 と。
「トマトもったいなくてジュースにして死ぬほど飲んだら死ぬほどお腹壊した」。 もはや武勇伝。
だから、農家での 「ご馳走」 は、贅沢のようで血と汗と魂でとっても有難かったのだけど
贅を楽しむってぇのは落ち着かないです。 居心地悪い。 こっ恥ずかしい。 うひ。 
豪勢な場所は全て、外様の東京人やデートのためのもの…と感じる。
ケーキの食べ放題とかも絶対無理~。 なんの拷問だよって感じふう。
新しいお洒落な店とか、正直どうでもいい。 隣のお蕎麦屋さんが元気でいてくれることの方が、大切。



震災から一週間で、住まいとしての東京は静かになりました。
外様な東京人も外国人も、その多くが本拠地へ帰ってしまったから。
ホームへ帰る。 家族の元へ帰る。 とても自然な気持ちだと思う。
物としてのホームがある場合はなお更に。


テレビでは 「東京中から物が消えてパニック」 みたいな報道がされていたけれど、それは極一部で
分母に対して分子が減ってるんだから、電池以外はなんでもありました。
水騒動も何の話? ってなもんで。 ちびっ子たちに、安心安全なお水は、どうぞどうぞ。
金臭いかプール臭いのがデフォルトの東京の水。 乾いた喉で飲みゃ、何だって美味いよ。
水を買いに走ったのは、絶対、江戸っ子じゃねぇ(笑)
ってことで 「海老蔵は江戸っ子文化の面汚し」 のニュースに座布団10枚。
「意外に含まれていた量は多かった」 のニュースは知ってるけれど、飲んじゃったもんは仕方ねぇ。
爺ちゃんたちは死体がたくさん浸かった川の水を飲んで生き抜いてきた。 健康に生んでもらった。
これからも健康で死ぬまで生きる♪ と、信じるしかないわな。


絶滅危惧種の江戸っ子としては、今の静かな東京は
小さい頃の下町が帰ってきたようで、悲しくはなかったりします。
地上げで変わってしまった町並みがあの頃に戻ることはないけれど
江戸っ子文化が帰ってきているのを感じて、おうっ、なんかしなくちゃな、と思ったり。
なんかってナンダヨは考え中。 ぶほほ。


東京には、江戸時代からワケアリの人が多いのもこれまた事実。
流れる人波の中でひっそりと、ゼロから人生をやり直すのには最高の町。
「過去ってもんはどうしようもねぇ。 どうにかできるのはこれから、だぜ」 ってなもんで
よって人の過去を聞くのは野暮。 てめぇ語りから入って、人と仲良くするのがデフォルト。
まずは自分を曝け出して、相手が間合いを詰めやすくするのが暗黙のルールです。
これが他文化圏から見ると無関心や自慢しぃに見えるわけだけど、違うんだよなぁ。 ふふ。
「東京は挨拶しないのがフツー」 とか、何言ってやんでぇこの馬鹿めって感じふう。
義理人情・仁義はすっげぇ大事なこと。 間合いが大事、粋のツボ。
質問ばっかりする人は、東京では困られます。 言わなきゃわかんねぇのがもうめんどくせぇ(笑)
おしゃべりな人が言わない。 これがどういう意味か、どうしてわからねぇかがワカラネェ(笑)
「仲良くしたきゃまずはてめぇを語れ、駄洒落もきかせて宜しくな」 ってなところ。
「話すのが上手くねぇなら、相槌上手でひとつ宜しく」 と、てめぇ語りに拍車がかかる。
さあこの話の流れに乗ってこい。 乗ってこれたらもう今日から仲間だよってなもんで。


この辺が通じる江戸っ子魂のある人だけが街に残った感じがします。
駄洒落交じりの声掛けと江戸っ子気質が、なんとなぁく復活中なのを感じます。
細かい定義は無視無視。 江戸に住んだら江戸っ子で~い。
大都市とか首都とか、なぁんか面映ゆいナァって一番思ってるのは江戸っ子ではないかな。
便利とギュウギュウは紙一重で、それは不便に通じるもの。 「めんどくせぇ」 です。
イタリア式とかドイツ式とかイギリス式とかに拘ってフォーク使わなくちゃいけないんだか、意味わかんねぇ。
醤油さえありゃいいんだけど。 高嶺の花より今日の醤油ときたもんだ、と。


西からいろんなものが下ってきて、江戸に根付いたもの、根付かなかったもの、いろいろあります。
人もまた然り。 狭い空を悲しく感じる人は根付けない街。
狭き貧しき東京も、ビッグシティ東京の大きな一面。
何を恥じることがあるかってんでい。 今日を一生懸命生きてきた人の歴史そのものだ。



レベル7の発表があって肝が据わった人が増える中
液状化のあった江戸川区や江東区には人が戻ってきていません。 他の区はどうかなぁ。
東京を一瞬でも愛したみなさん。 いつかまた帰ってきてみてください。
醤油味しかしない蕎麦やうどんを、不味い不味いと食っておくんなさい。
それを美味いと感じるようになったら 「おう、あんたも江戸っ子だぁ」。


因みに、外様なカッコいい新都民に押されて大人しくしてきたお年寄りたちは、なんだか元気。
「土になるなら東京で」 そう思っているからでしょう。


集団疎開でよそ者扱いされた辛さが、誰の脳裏にも蘇っているはず。
帰ってきたら何も無かった悲しさが、誰の脳裏にも蘇っているはず。
家族を亡くして1人で生き抜いてきた人は、買占めにも走ったろうと思う。
頼りになるのは自分だけだった辛い頃が蘇ったろうと思う。
「年寄りのクセに買占めするな」 の報道は、東京近代史を何も踏まえていない。
その報道の仕方では、東京人でなく似非都民って呼ばねばならぬふう。
東京を語る報道陣に限って、出処不明の人である謎。
ルーツは大事だ。 ルーツあればこその、あれもよき哉これもよき哉。


あるはずのものを無くす辛さと孤独を知っているのは、お年寄りだ。
今泣いている被災地の子供の辛さは、空襲て壊滅した都会の子供だったお年寄りが体験してきた辛さ。
歯を食いしばってただただ頑張る大人たちの姿は、わたしの祖父たちが母たちに見せた姿。
60年以上の時を超えたPTSD。 これに気づかない人が多いのは、戦後教育の大失敗だ。
見て、語り継がれて来た東京の過去。 お年寄りを大切にしない街なわけがない。


長っ! しかも滅茶苦茶だ。
さんざっぱらてめぇ語りしといて 「で、なんだっけ?」 と、人に聞く。
これまた江戸っ子のお約束。 難儀だねぇ。 ぶはは!


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●最近無駄に考えたこと●

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無題
この度の被災地の復興は関東大震災後の自分たちで立ち上がった人たちを見習えばいいのですね。
つまり、被災した人は自分で立ち上がろうとする、回りの私たちは長い目で援助の気持を持ち続ける。これでうまくいく気がします。

それにしても、江戸っ子を主人公にした短編小説を読んだ気分です。
日本中が江戸っ子だったら住みよいことでしょうんね。
茶々ママ 2011/04/24(Sun)22:16:28 編集
Re:無題
おおう、茶々ママさんのおかげで何が言いたかったのか思い出しました!「絶滅危惧種の江戸っ子気質と東北魂はイコールではないのが気になる」ダ!例によって「普通ってなんだろう」で頭がウニウニ→江戸っ子の普通を書き始めてどんどん横道に…。ぶほほ。

たった400年の歴史しかない根無し草江戸っ子にとっては、風景も人も「変わるもの」。何かが壊されて新しいものになった時、誰かがいなくなった時…寂しさはもちろんあるのだけれど、受け入れて、受け流して、馴染んでいきます。が、東北の方たちもそうなのだろうか?と考えた時、違う気がしたんです。厳しい自然あっての豊かな実り。土や海だけとってもたくさんの協力と戦いの歴史がある…。此度の物的・人的な喪失感はそうそう埋められるものではない気がしたんです。で、今東京の主流派は石原都知事を筆頭とする外様昭和流入組+バブル以降の似非セレブ組。物や形に拘る人が増えており「自分の好きな既にあるものは無くさない」が主流です。狭いんだからそりゃ無理だっての!と言っても「そうですか?」と疑問符を投げつけられてオシマイ。江戸っ子気質的支援が都としてできるかと言うと、絶対そうはならないでしょう…。うおおおお悩ましい!ぐはぁっ。

日本中が江戸っ子だったら、一日に百回は寅さんのおいちゃんやおばちゃんみたいに脱力して「馬鹿だね~」と言うハメになりまする(*m*) 湯島のお婆ちゃん、寅屋のおばちゃんみたいでしたョ…寅さん役は満場一致で爺ちゃん。うはは!
2011/04/25 14:23
べらんめぇ
おうおうおう、しかと全部読んだぜ!
ブラウザはシャクゴジュウ%に拡大したけどな!(笑)

1日の大半を東京で過ごすオレは、気持ちだけでも江戸っ子だっぺ!(爆)
最近は東京で“昭和”を探すのが楽しいぜ♪
かっしー URL 2011/04/25(Mon)00:21:22 編集
Re:べらんめぇ
>ブラウザはシャクゴジュウ%に拡大したけどな!(笑)
うははは! すいやっせ~~~ん(*m*)
結論書ききらずでも充分長かった&目潰し(*m*) 結論は「悩ましい」(ヲイ)

かっしーさんは江戸っ子だっぺ~♪ そもそも江戸は、気持ちでできてる町だから。
物は壊れる、人は流れる。気持ちだけがあとに残る。
そんな意味で、江戸っ子・職人組末裔としては、外様の石原さんよりビートたけしがよくて。同じく外様のそのまんま東じゃあ、たけしの名代にはならんのです。外様の人の「東京一番」的思考は、なぁんか引く。汚いところやゴチャゴチャなところ、まるっと捨てようとするからね。そこにこそ気持ちと苦労が詰まってて、綺麗にすりゃあいいってもんじゃねぇっつの。んで江戸っ子は会議でも「めんどくせぇ」ってやっちゃう。そりゃ外様が勝つわな(笑)てなワケで、東京よ、何処へ行く~と思いつつ、年寄りの知恵袋・石原さんに一票を。

昭和探し、わたしも大好き~♪清澄や門仲は江戸~昭和までうんまい具合にからまってる。大島の工場街も楽しい~♪亀有の商店街は安くてうまーい♪
2011/04/25 14:42
無題
江戸っ子が少しわかったような気がします。
私は東京へ行っても山手線内が多いので、よそ行きの服装やお化粧の人ばかりですが。。。

一汁一采ですか。
米沢藩中興の祖の上杉鷹山公は、質素倹約、一汁一采だったとか。私ごとですが、歳をとると健康的にも一汁一采がよいようですね。考えねばいけません。
大樹 2011/04/25(Mon)21:59:06 編集
Re:無題
お久しぶりで御座います~~~!
お返事遅くなって(遅すぎっ)申し訳ありませんでした~~~。
そろそろXPがオシャカ間近のようで、ソフトを同時に立ち上げることができず。
時間がある時はなじぇーーか忍者がエラーでログインできず。とほー。
また宜しくお願いいたします。 今は校了待ちです。 えへへへ。

>よそ行きの服装やお化粧の人ばかりですが。。。
うふふ。これも江戸っ子気質の1つなのですよ~。江戸っ子はお洒落が好き。
ボロ家に住んでいても外見だけでは暮らしがわからない、そこんところ大切。
「襤褸は着てても心は錦」ですかね。 狭い家がパァッと明るくなるようなね。
生地がいい・素材がいい…あたりが金持ちを見分けるポイント。目利きも粋の1つです。
「買えないけどワカリマス」でOK。興味がないのから知らないのもOK。
でも興味があるのに分かんないのは野暮。 江戸っ子は気取りっ子。 ぶふふ。

一汁を何にするか、で、かなり栄養バランスってコントロールできるんですよね。
しかし江戸っ子最大の敵は醤油ですな。最高の友でもあるんですけどね。わはは!
2011/06/20 12:48
無題
私が広島産まれじゃなく東京産まれだったらどんな人生送っただろうか?? どんな人間になっただろう?? やっぱり「べらんめぇ口調」で『はちゃめちゃ』人生やってるんだろうなぁ・・・

広島だって都市として復興出来たので東北の被災地だって立ち直りますよ!!
FLAT SPIN 2011/04/28(Thu)22:05:44 編集
Re:無題
うほー!お久しぶりで御座います~~~!
お返事遅くなりすぎのこの馬鹿を罵ってクダサイ。申し訳ありませんでした~~~。

>「べらんめぇ口調」で『はちゃめちゃ』人生やってるんだろうなぁ・・・
関西弁でも立て板に水と喋ってるんでしょうか、わたしは?(聞くんかい)
わたし「もしも、ほにゃららだったら」を妄想するのが好きなんですよ。
子供の頃から、登場人物がもしもわたしだったら…を考えてました。うふふ。
妄想の中でもいつも「わたしなり」のことしかしないんですよね。
いつ・どこで生まれても、きっとわたしはわたしなんだなぁ、と。

広島・長崎の復興は、日本の誇りです。学校で習ったのは「みなの努力によって復興した」の一文だけだったのですが、そんな一言で済むものではなかったはず…。70年近くも前のこと、物資のなさも栄養の足りなさも現代に生きる者の想像の域を超えていると思います。昔の人は自慢しなかったですしね。当たり前のように苦労をしてきた。外では笑顔を見せて。日本の美徳ですね。
2011/06/20 12:59
お久しぶりです~
江戸っ子エッセイ、しかと読ませていただきました。
江戸っ子爺様物語、すっからかん話で目が真ん丸になりましたよ~

生粋の江戸っ子は変わることに慣れているとは、初めて知りました。
関西は全然違う気質なんだろうな。
転勤根なし草族ですので、なーんにも言えない。
東北と東京では感性がまったく違うでしょうね。
東北は変わることには慣れていないような気がします。

>自分で採ったものを粗末にしたくなくて必死で食べるだけだよ
はいはい、うちでも採れすぎたときは毎日トマト。トマトソースもじゃんじゃん作りましたよ~
丹精込めて作ったものを捨てるなんてできませんよ。
被災地の農家や酪農の方は無念でしょうに・・・

>醤油味しかしない蕎麦やうどんを、不味い不味いと食っておくんなさい。
東京には住みませんが、これは声を大にして言える(笑)
昔食べた東京のラーメンは醤油の味しかしなかったぞー
くろろ 2011/05/08(Sun)04:55:17 編集
Re:お久しぶりです~
放置プレイ、すみませぬ~~~!罵ってクダサイ~~~!
くろろさんはエラーにひっかかりませんでした?ここのところ忍者、エラーが多い気がするー。震災以降、ネット人口が増えたせいでしょうか。ぬーん。謎。

うちの祖父ちゃんタダモンじゃねぇっすよね(*m*)
このいい加減さって江戸っ子独特なんでしょうかねぇ。職人独特なんだろか。
うち独特でないことだけは確かです。友人たちの爺様も大差ナシですから。わはは!

>生粋の江戸っ子は変わることに慣れているとは、初めて知りました。
そう。移転問題で騒ぐのは常に、戦後の農地解放以降に地方からきたお金持ちです。土地は未来永劫自分のもの…というデフォルト思想から離れることは無理でしょうし、我が家が江戸っ子文化を受け継いできたように、その思想も受け継がれていると思われ。ただねぇ。「ずっと住んでるのに!」って、たかだか50年ぐらいで言うなヨと。ぶほほ。その土地は、誰がどんな思いで手放したのかよってぇんだ、と。金は天下の回りもの、土地もまた然り。土壌を作る苦労という意味で「文句を言っていいのは農家だけ」が江戸っ子の認識なので、新参都民の思考にはちょっとどころか結構ヒキマス…わはは。

>東北は変わることには慣れていないような気がします。
続々と入ってくるニュースでもそんな感じですが…軋轢となっているのは手法ではなく思考の部分だと思うんですよ。政治家も官僚も新参都民、言っちゃえば似非都民の域なので、東北の方は江戸っ子以上にひくと思うんですよね。実行に移す前に心が固まるって言うのかなぁ。景観の復興も大事だけど、住む人あっての景観ですし町ですし。気持ちよく個々が百人力を出せるような体温のある発言と行動を、政治家とお役所には求めたいものです(と、もう1人の政治家で官僚で警官だった祖父ちゃんの血が囁く)

ダシも入ってるんですけどね。煮干や鰹系だから。醤油の勝ちですわね。ぶふふ!

おうっ。修正の電話が。ぐほーん。更新は夜かー。
昨日はおちゃびんの誕生日でした♪ 癌から1年たちましたよー。
2011/06/20 13:29
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※お休みしてる間にブログ仕様が変更になり、トップエントリー下部に巨大PR写真が入るようになっていました…引っ越しマジ考え級にイヤ~(号泣) 華麗にスルーしてくださいまし~(*~*)
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HN:
オナモミ
 
2001年発売のG2、max400万画素。部品保管期限2010年明けにて終了。絶滅しないよう5台保有。名前は全部デジオ。大き目の光学レンズ付きで、オモシロイ撮れ味。くだらなくも愉しき日常を惜しみなく切り取るのに、なんともいい具合のカメラです。
PowerShotA630・ViviCam5050で撮ったものも、時々登場する予定。

         

2009.12.27 コメント欄付けました。
どうぞのんびりしてください。好きなことを書いてください。写真ばっかりだけど、写真ブログとはイエマセン。ぷ。猫が多いけど、猫ブログでもないのです。ぷぷぷ。

         

2011年12月、6台目のデジオ購入。
直すのもそろそろ限界なのですぅぅぅ。
飽きてしまった方、オークションに是非ご出品くださいませ。可愛がりますから( ´艸`)
something more
オナモミは、子どもの頃から好きなもののひとつです。投げてヨシ、くっつけてヨシ。あってヨシ、なくても実はコマラナイ。そんなオナモミがわたしのHN。

だがしかし。名乗ってから知る☆花言葉。
≪怠け・頑固・粗暴≫…ヒドイヮ!ぶほー!

くっつかない 巨大オナモミモドキ

コレは痛いだけでツマリマセン


         

◆おじゃもみ亭とは(?◇?)◆
「オナモミが、もじゃもじゃする場所」。
音ガ一番愉シカッタノデ。あはは。
オナモミ~~お茶のみ~~と発音しながら愉しい音を探す、莫迦な大人を想像してミマショウ……ハイ、それがわたしです。

  この絵は願望です。
  実際は、超胃下垂の為、残念なほどに
  トリガラ子で御座います。ぐほーん。


G2はそもそも400万画素しかないのに、キャビネ気分の小さめ・粗めで、もじゃもじゃバシバシ撮るのが好き。レンズフレアが好き。飛ばし気味・赤転び気味も好き。撮影時期は、昔だったり今だったり。「東京から出ることのないマヌケなオヤジ系の生き物の日常」ふう。
仕事も親戚もみんな東京。しかァし、お洒落度ゼロふう。何事もテキトー星人ふう。絶滅危惧種の江戸っ子カメラー(?)。趣味は、たぶん迷子的散歩。
愉しい・可愛い・面白い……そんなことを考えるのが好きなので、時々話が長いです。



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イラストは「もずねこ」さんからお借りしました。
         
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